【my spiritual journey】VOL.3/カレンさん「スピリチュアルとは、魂レベルで生きるということ」
スピリチュアルジャーニーをしているGLITTERな人をPick-upしていく本連載。
GLITTERでは、スピリチュアルを日常生活に取り入れることも、ウェルネスの一つだと考えています。スピリチュアル=霊的なものと捉えがちですが、シンプルに「魂が喜ぶこと」をすることが、人生を好転させたり、より自分らしく生きることができたり、自分にとってウェルネスな状態へと導くのではないでしょうか。
第三回目の今回は、世界中を旅しながら、スピリチュアルな生き方を体現しているカレンさん。
「もともと、目に見えない世界は信じていなかった」と語るカレンさんが、スピリチュアルに目覚めたきっかけとは?
20代前半で挫折を経験したことが、大きなターニングポイントに
―現在カレンさんは南米を中心に過ごされていますが、生まれは日本ですか?
はい、生まれも育ちも神奈川県の茅ヶ崎市です。今は数ヶ月単位で海外に住んでいますが、これだけ長い期間旅をしているのも今年に入ってからなんです。
―具体的にどんな活動をしているんでしょうか。
肩書きとしては『スペースホールダー』と今は言っています。スペースホールダーとは、目覚め(悟りを開く目覚めではなく本来の自分の可能性、光を思い出すプロセス)のサポートをしたり、そのための安全な場所をつくる人のこと。基本的にご自身で体感してもらいたいので、「現状を打破したい」「本来の自分で生きたい」という人に対して、私自身が何か方法を教えるとか、助けるということはしないようにしています。サステイナブルなヒーリングのスペース、機会は作るけど最終的にはその人自身が感じて行動してほしい。そのときの安心で安全な場所をホールドする役目が自分にはあると思っています。
役目としてはもうひとつ、「ブリッジになる=海外と日本の架け橋になること」もあると思っています。海外ではシャーマン、メディスンウーマン、メディスンマンに会って学ばせてもらったり、神聖なセレモニー(儀式)に参加したりしているのですが、そこで学んだことや気づきをオンラインでシェアしたり、その波動をそのまま日本に持って帰って、リトリートを開催したり。カカオなどのプラントメディスンを持って帰ることもあります。
―なぜ拠点を海外にしたんですか?
日本だけにいるとどうしても視野がせまくなってしまうと思ったんです。世界に出ることで日本だけでは得られない情報も手に入るし、固定観念や先入観もとりはらわれる。体験したかったセレモニーが南米で開催されていたというのもあります。
海外のヒーリングの場に来て感じたのですが、海外の方々は日本人と違って表現力が豊かですよね。泣くときは大きな声で泣くし、歌も踊りもダイナミック。日本人はシャイなので、どうしても控えめになってしまう。それが良いときもあると思うのですが、たとえば儀式やワークショップでヒーリングをする目的で来ているのに、日本人の場合なかなか人前でオープンになれる人が少ないんです。バッグに入ったほこりやゴミを落としたいときって、バッグを大きく振らないとなかなか小さなゴミって出ていかないですよね? それと同じで、他人の目を気にせず心をオープンにして大きな表現をして出していかないと、なかなか自分を解放できなかったり、魂レベルで本質の自分で生きるというところまでは時間がかかってしまうんです。
―そもそもカレンさんは今のような活動にいたったのは、どんな経緯があったんでしょうか?
20代前半で挫折を経験したのが大きなきっかけです。4歳からフラダンスを習っていて、プロのフラダンサーや先生になりたかったので、高校卒業後はハワイへフラ留学をしたんです。ですが、当時所属していたフラチームの女性クラスががなくなってしまったり、日本に彼氏ができたり、ハワイ生活に集中できなくなってしまって。
それで、学校を卒業しないまま日本に帰ってきてしまったんです。これはもう若気の至りというか……。しかもそれが原因でいっとき家族関係も気まずくなってしまったんです。母親は再婚なのですが、留学費用はすべて義理の父親に出してもらっていたんです。血がつながってもいない私に対して善意で払ってくれていたのに、当時は合わせる顔もなくて……。母親にももちろん怒られました。なので、日本に帰ってからは地元のアイスクリーム屋さんでアルバイトしていました。21~25歳まではやりたいことも見つからず迷走していた時期です。理想の形で留学生活が終わらなくてもそのとき培った英語力で現在恐れず旅をすることが可能になっているので、今は両親に感謝しかありません。
―そこからどうやってブレイクスルーしたんでしょうか?
その時期はずっとどこかで「自分の人生はこんなものじゃないはず」と思いながらも気づかないフリをして、彼氏や友達とお酒を飲んで遊んで暮らす毎日。あえて自分を鈍らせていたような気がします。
同じことの繰り返しの日々にうんざりし始めた頃、親友からふと「カレンはいつも彼氏や友達とか、自分以外の人やものを中心に置いているよね。いったん、自分のことだけに集中してみたら?」と言われたんです。とてもシンプルな言葉だけど、すごく腑に落ちて。あとから考えたら、これは私の守護霊が親友を通して伝えてくれた言葉だったことが分かります。たしかに私は自分しか座れない自分の車の操縦席に自分以外の誰かを乗せた人生だった。だから彼もいたり友達もたくさんいるにも関わらず、ずっと孤独を感じていたのかな、と思います。とにかく昔から孤独を恐怖に感じるほうで、一人でいるのが苦手すぎて、カフェすら一人で入れなかったんですよ(笑)。
同じ頃、久しぶりに会った友達に「東京に守護霊の声が聞こえるサイキックがいるから行ってみない?」と誘ってくれて。正直、当時は「そんな見えないものに対してお金を払うなんて信じられない!」と思っていたのですが、それでも行ったのはそれほど何かにすがりたい気持ちだったのかもしれません。誰かにアドバイスを求めたかったんです。その方には、「カレンさんはもっと上に上がっていける人ですよ」と言ってもらえて、少し自信を持てるようになり始めました。
―他人軸になってしまっていたんですね。
そうですね。そして自分の幸せを他の誰かや環境、つまり外側に求めてしまっていた。自分が幸せじゃないのを、親とか全部まわりのせいにしていたんです。「自分の人生に責任を持とう」。そう心に決めてから、玉ねぎの皮をむいていくように、ちょっとずつ転換しはじめました。
自分が変われば、まわりも変化していく
―見えない世界を信じてなかったにも関わらず、目覚めの道へと進んでいったのは、なぜですか?
毎日ようにイニシエーション(通過儀礼的な出来事)はあったんですけど、わかりやすかったのは25歳の頃から幽霊が見えるようになったこと。パッカーンって開いちゃった感じ。
―幽霊は怖くなかったんですか?
正直こわかったけど(笑)、それと同時に「このパワーを扱いながら、自分や他の誰かのために使っていくんだろうな」ということが明確に感じられたので、ワクワクしました。そしてもうひとつ、見えない世界を確信した出来事がありました。
湘南で仲良くなったある家族がいて、ママも娘2人もサイキックで、幽霊も見えるし、人のオーラも見える方々なんです。下の娘さんがお腹の中にいるときと、その前の記憶を覚えていて、2歳のときにその記憶について突然話し出したらしいんです。「子は親を選んでやってくる」とよく言いますが本当にそうで、その子は「ママがかわいかったから、ママのもとにいく」とお腹に入る前のお空で決めたらしんですね。そのとき仲良しの女の子と「一緒のママのお腹に入ろう!」と話していたらしいのですが、その友達が直前で気が変わったらしくて、別のお母さんのもとへ行ってしまったらしいんです。
それを聞いて、その子のママはびっくりしちゃって。というのも、本当は双子で産まれてくるはずだったらしいんです。でも生まれる前にそのもう一人の子は流産をしてしまったらしく。もちろん、娘さんにはその話はしていません。それを聞いたとき、魂の存在を深く信じられたし、例外なく全員魂なんだ、ということがしっくりきました。
―どうすればそういった「目覚め」の境地にいけるのでしょうか?
私も境地に来たとは思っていませんが、一回死んで生まれ変わったように人生転換したのでこれを一種の目覚めと呼ぶなら、何をするというより、誰もが魂の存在なんだと気づく、もっと言えば「思い出す」ことが大切です。どうしても「自分」というものは、自分の場合だと「カレン」という名前の、この小さな体に入ってこの小さな目から見える世界が全てだと考えがちですが、過去があるから未来もこの程度、ではなく今までのカレンというキャラクターも関係なく、魂レベルで生きると決めたら今からなんでもできる!と心から思えると、生きる規模が変わってきます。スピリチュアル的に生きるということは、自分が魂の存在っていうこと、本当はこの肉体以上の存在なんだということを知った状態で生きる、ということだと思います。そしてそれは、本当は誰もが知っていること。忘れているだけなんです。
―カレンさんが変わり始めて、まわりの環境や人にも変化はありましたか?
すごく変わりました! まず当時は自分の頭の中がお花畑みたいになって(笑)、毎日のように道に咲いている花ってなんて美しいんだろうとか、空を飛ぶとんびを見るだけで感動して泣いたり、とにかく感覚が繊細になっていったんですよね。アルバイトをしていたアイスクリーム屋さんでも、自分のグッドバイブスなエネルギーを注入しながら、「このアイスを食べた人が幸せになりますように」と本気でやっていました。別にこれはエセポジティブなわけではなく本当にそう思えるようになっていたんです。
そうなっていくと徐々にポジティブな人や出来事ばかり増えていって。まさに引き寄せの法則ですよね。知人の中でもカレンと話すだけで、ネガティブな言葉ばかり発していたのにポジティブになって、最終的にヒーラーになったパターンもありました。母との関係もいい方向に変わったり、逆に彼とは別れることになったり人間関係も変わっていきました。すぐにこういった見えない世界を仕事にしていたわけではないのですが、分からなくてもとりあえず友達を家に呼んでギャザリングしてみたり、関わる人みんなに、自分に起きた体験や気づきをシェアしていました。でもそれで離れていく友人もたくさんいましたね。やっぱり準備ができてないのに暗闇でいきなり電気をつけられたらまぶしすぎるじゃないですか。何かのきっかけになった友達もいればありがた迷惑に思われた友達もいました。それに自分自身もそのときはまだエゴが強くて、「伝われ~!」という気持ちが大きすぎたんですね。それも良い思い出、通り道です。
―今の活動に完全にシフトしたのはいつ?
完全にこれ一本にシフトしたのは昨年の5月頃です。アイスクリーム屋さんを辞めてからは『ルルレモン』というヨガウェアブランドで働いていたのですが、そこも辞めて今のようにパッションがあることだけで生きること始めてからは一年の半分以上を海外で過ごす道になりました。安定した職を手放すのは不安もあったけれど、それが自分のやりたいことだったので。もちろん怖い思いをしたこともあったし、南米では英語すら通じないケースも多いので、それなりにストレスはあります。でも本当に深くつながる人は言葉を超えて魂レベルでつながるので、案外伝わるんですよね。それに、以前は辛くて苦しい経験があると、「なんでこうなるだろう」といちいち落ち込んだりしていましたが、今はすべてに意味があると感じられるし、自分の闇も受け入れて内観することにつながっていくので、昔と今の苦しみは種類が違うんです。
―最後に、カレンさんがこれから目指していることを教えてください!
自分が体験してきたように、みんなにも自身のユニークな経験を体感してもらいたい。そのためにシェアできるオンラインサークル、日本にいれる時はオフラインの場所を増やしていきたいです。どれだけ話や知識を聞いていたとしても、それだけだとストーリーだけでとどまってしまう。スピリチュアルをおとぎ話で終わらせるのではなく、生き方として経験してほしいんです。それはやっぱり自分が経験して、明らかに人生が変わったから。みんながみんな、魂レベルで生きる、ということを思い出してほしい。そのためにこれからもリトリートやセレモニーを開催して、周波数をシェアしていきたいと思っています。
【KALEN’S FAVORITE SPIRITUAL ITEM】
先住民の手作りアクセサリー
ブラジルやコロンビアの先住民が手作りしたアクセサリーは、お守りとしてつけている。
浄化してくれる香水
(写真中央)Aqua de Floridaという、セージやパロサントなど様々なハーブが配合された香水。「私にとって超浄化アイテムです。ちなみに左はお気に入りのローズウォーター、右は最近新たに仲間入りしたオラクルカード」(カレンさん)
Editor’s Note
By Sonomi Takeo
『GLITTER』10月27日発売号の企画「NEO SPIRITUAL」でも登場いただいているカレンさん。
「世界中旅していてうらやましい」と見えてしまうこともあるかもしれませんが、彼女の努力は並大抵のものではありません!
海外、しかも日本人がほとんどいない地で、自分と、精神世界と向き合うことは大変なこともたくさんあると思います。
しかしながらそれも、誰でもないすべて自分自身のため。それほど固定観念が渦巻いている世の中において、「魂レベルで生きる」ということは、なかなか難しいことなのだと思います。
ご自身もインタビューで、「生ぬるいことはしたくない。趣味やおしゃれのようにスピリチュアルと向き合いたくはない」と話していました。
その言葉から、笑顔が可愛らしいビジュアルとは裏腹にストイックな姿が垣間見られました。
彼女が得た気づきや発見は、カレンさんのYouTubeでも発信しています。
ぜひ一度チェックしてみてください!