ディオールのアイコンが教えてくれること。映画『オートクチュール』に見る「伝承」の意味
3月25日公開の映画『オートクチュール』はクリスチャン・ディオールのアトリエを舞台に、孤独なベテランお針子エステルと人生の目的を見失っている移民の女の子が出会い、”伝承”を通して愛と信頼を学んでいく物語である。ディオール・アトリエの全面的協力を得た本作は、ディオール社のアーカイブ部門とオートクチュールのアトリエで12年間働いてきた映画衣装デザイナー、ジュスティーヌ・ヴィヴィアンがアドバイザーとして参加。ムッシュー・ディオール直筆のスケッチ画に加えて、アトリエのインテリア、ヒエラルキー、慣習、そして仕事の様子など、これまであまり見ることのなかったオートクチュールの裏側も映し出していて、ファッション好きにはたまらない。本作に登場するディオールのアイコンから物語を紐解いてみよう。
映画『オートクチュール』あらすじ
ディオールのオートクチュール部門のアトリエ責任者であるエステル(ナタリー・バイ)は、次のコレクションを終えたら退職する。準備に追われていたある朝、地下鉄で若い娘にハンドバッグをひったくられてしまう。犯人は郊外の団地から遠征してきたジャド(リナ・クードリ)。警察に突き出してもよかった。しかし、滑らかにギターを弾く指にドレスを縫い上げる才能を直感したエステルは、ジャドを見習いとしてアトリエに迎え入れる……。
ファッション以上の役割を果たしたクリスチャン・ディオール
劇中、シルクと刺繍、チュールが登場するが、これは”ディオールの歴史”の象徴でもある。第二次世界大戦直後の1947年、戦争から帰還したクリスチャン・ディオールは「ニュールック」を発表した。大戦による布不足のせいで女性の服がくすんだミリタリールックになっていたなか、シルクや刺繍、チュールを贅沢に使い、ウェストをギュッと絞ってスカートをふくらませたデビューコレクションは、センセーションを巻き起こしたのだった。
そのとき、『ハーパーズ・バザー』の編集者であるカーメル・スノーはディオールにこう言ったそう。「ああ、なんて革命的なの。あなたの服は、“ニュールック”を創始したのよ!」(『クリスチャン・ディオール』マリー・フランス・ポシェナ著)。こうしてニュールックと呼ばれるディオールのスタイルが一世を風靡したのだが、ニュールックにはファッション以上の役割があった。
それは、第二次世界大戦で落ちぶれたパリの復興。大戦前のモードの発信地はパリだったが、戦時中は戦火に燃えるパリからニューヨークへとモードは移っていた。新鋭クチュリエのクリスチャン・ディオールは、当時“木綿王”と呼ばれた繊維業界の富豪、マルセル・ブサックから投資をうけて、モードをパリに取り戻すことに成功する。こうしてフランス経済を活性化し、服飾の伝統と職人仕事を再生する役割を果たした。
つまり、ディオールはファッションの伝統工芸技術、雇用と経済をパリに蘇らせた唯一無二のクチュリエだったのだ。だからこそ、戦後のパリを”救った”ディオールのアトリエが映画の舞台となったことには大きな意味がある。引退間際のお針子エステルと移民の女性ジャドは、ディオールを媒介にお互いを”救い合う”からだ。
ディオールのアイコン、「バー・ジャケット」のメタファー
シルクや刺繍、チュールといったディオールに欠かせない代表的な素材のほかにも、本作には「バー・ジャケット」や「フランシス・プーランク ドレス」といったアイコンが登場する。
1947年に発表された「バー・ジャケット」はニュールック革命の象徴で、ディオール・メゾンの歴代のアーティスティック・ディレクターにより、デザインに再解釈が加えられて毎シーズン進化し続けているアイコンだ。ジャドがムッシュー・ディオール自身が作ったという「バー・ジャケット」を身にまとい、お針子として生きる道を決意する場面がある。ここには、人種的・経済的格差が広がるフランスに対する、シルヴィー・オハヨン監督のメッセージがこもっていると思う。
ユダヤ系チュニジア人として幼少期をパリ郊外の貧困移民層が住む”団地”で育ったオハヨン監督は、オフィシャルインタビューでこう語っている。「これは私の経験に基づく、私自身の人生のテーマでもあります。私にとってフランスは共和国の学校制度のおかげで全てが可能であり、卒業証書さえあれば自分で道を切り拓ける博愛の国です。(中略)少女は教育を受け、人生に対する新しい視座を持ち、パラダイムシフトを起こします。私も同じようにして、ジャドと似た境遇から立ち直ることができました。人生に意味を与える方法として、仕事以上のものはないのかもしれません」(プレス資料)
「フランシス・プーランク ドレス」が象徴するもの
もうひとつのディオールのアイコン、「フランシス・プーランク ドレス」がエステルの最後のドレスとして登場するのも興味深い。1950年にディオールが発表したこの夜会用ドレスは、彼と親交があった作曲家フランシス・プーランクにちなんで名付けられた。その理由はディオールの過去に遡る。
第一次世界大戦を経て15歳から20歳までの間、ディオールはパリ政治学院で学んでいた。その頃のパリは世界中の知識人や文化人で溢れかえり、ピカソ、ラディゲ、コクトー、サティ、ローランサンなどの芸術家たちが夜な夜なナイトクラブに集っていた。そのなかにプーランクがおり、彼の才能に触れてディオールは音楽家を志すのをやめてクチュリエになることを決めたという。
つまり、「フランシス・プーランク ドレス」は新しい道や人生をさし、引退するエステルとお針子の道を歩み始めたジャドの両方に、これから”新しい人生”が開けることを暗示しているのだ。
クリスチャン・ディオールがこの世を去ってから64年が経つが、”伝承”は古いものをただ次世代へ”伝える”ことではない。エステルがジャドに「美しいものを作りなさい」と言ったときに、ジャドが「いいえ、私は”自分の好きなもの”を作る」と返したように、伝承とは伝統に新しい才能を加えて”進化”させ続けることではないだろうか。これはオートクチュールの使命であり、競争の激しいファッション業界で生き残る唯一の道なのである。
『オートクチュール』
3月25日(金)新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ有楽町、Bunkamuraル・シネマほか、全国公開
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此花わか
映画ジャーナリスト、セクシュアリティ・ジャーナリスト、米American College of Sexologists International(ACS)認定セックス・エデュケーター。手がけた取材にライアン・ゴズリング、ヒュー・ジャックマン、エディ・レッドメイン、ギレルモ・デル・トロ監督、アン・リー監督など多数。映画の予告編YouTubeチャンネル「Movie Repository」とセックス・ポジティブな社会を目指したニュースレター「Sex Positive Magazine 」を発信中。墨描きとしても活動中。(note/Instagram/Twitter/Sex Positive Magazine Twitter)